昨夜キャピタル東急ホテルで「馬場さんを偲ぶ会」が催された。
1月31日は馬場さんの命日。昨年は13回忌であった。
今年は丸々13年。馬場さんが逝って13年たつ。時が過ぎても馬場さんの思い出は変わらない。昨年の13回忌に比べ規模は縮小されても館内は満席となった。
参列された人それぞれ馬場さんに対する想いがある。思い出がある。元子さんと久しぶりにお会いした。元気そうでなにより。ひと安心である。京平ちゃんにも。
昭和の時代。戦後の復興にプロレスは重要な役目を果たしたことは間違いない。力道山がシャープ兄弟を空手チョップでなぎ倒す映像は今だ復興のシンボルとして繰り返し流されている。プロレスは日本国民に勇気と感動を与えた偉大なものであったのだ。
それを中継したテレビが当時高い値にかかわらず驚異的に国民に普及された。プロレスとテレビの相互作用だ。常にナンバーワンの視聴率を誇っていたプロレス中継が危機的状況になる。英雄力道山の死である。「力道山がいなくなったんじゃプロレスは終わりだ」ほとんどの人達がそう思った。
プロレスイコール力道山であった。豊登、吉村道明では日本プロレスは存続出来ない。アメリカマット界で大成功しているジャイアント馬場を日本に呼び戻すことしか危機的状況を回避する道はない。
実際、当時馬場さんは景気の良かったアメリカマット界に於いてどこのテリトリーに行っても立派なメインエベンターの位置付けであった。日本人レスラー最高の成功者であり、力道山がいなくなった日本プロレスにわざわざ戻ることもなかった。
馬場さんはアメリカマット界の別格のトップとしてあるいはチャンピオンとして今後最低10年は年億単位のファイトマネーが保証されたという。後年のアンドレと同じ待遇になったはず。いや1時間試合ができるスタミナを考えればアンドレ以上か。
馬場さんは…日本プロレスマット界に戻る道を選択した。ジャイアント馬場のスケールの大きいプロレスは力道山時代と変わらないプロレス人気を日本全国に呼び戻すことになった。
力道山時代以上の大型強豪のアメリカンレスラーがジャイアント馬場との試合ため大挙来日した。馬場対トップアメリカンレスラーとの試合は迫力満点の好試合となり、日本全国どこの会場でも満員となった。
テレビのプロレス中継はやはりナンバーワンの視聴率を維持した。ジャイアント馬場のおかげでプロレス人気は復活した。もし、あの時、馬場さんが日本に帰らずにアメリカマットを選んでいたら…日本のプロレスはどうなっていたろう?私はプロレスラーになっていただろうか?
日本にプロレスが存続しても別のもの…そう現在のような多団体時代が早い時期に来ていたかも?そしてテレビ中継は早々に終わっていたかも?そうなるとプロレスは一体…本当に存続できただろうか?馬場さんは我々の…というか日本プロレス界の大恩人である。